翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

映画『永遠の0』

 7月31日にテレビ放送があり、ちょうど始まる時間にテレビの前にいたものだから、見てしまった。

永遠の0 DVD通常版

 

 百田さんの問題発言がある前から評価が分かれる原作であり、映画だった。たしかに、ヒロイズムに浸ってしまう映画で、そういう意味では、特攻賛美や戦争擁護と受け取るむきもあるだろう。歴史の一部を取り出して、フィクションに仕立てているのだから、本当はあんなものじゃなかった、と言われれば、それはそうだろう。でも、戦時下のヒロイズムやロマンスを、エンタメとして扱った映画はごまんとある。

 問題は、太平洋戦争が、我々が今生きている「戦」後の「戦」であることと、今の自民党政権の姿勢との関係から、色々なことを想起してしまうこと。ただ、特攻が愚かな作戦であったことは、映画の中でもはっきりとセリフにされている(もちろん、賢い作戦なら戦争をしていいわけではないが)。ただし、少なくとも映画では、主人公たちのドラマを優先し、当時の軍の闇の部分をえぐることは最初から意図していない。

 百田さんの発言は問題だが、それと切り離して見れば、ドラマとして、また、空戦シーンのCGにしても、よく出来た映画だった。この映画を悪く言う人がたくさんいるのもわかるが、どのジャンルでも、フィクションと割りきって鑑賞することが許されていいんじゃないだろうか。お涙頂戴の物語でも、わかって乗っかる限りはいいんじゃないか。

 

 

 最近、『飛行士と星の王子さま』の翻訳の資料として、サン=テグジュペリの『夜間飛行』や『闘う操縦士』を読んでいたので、飛行機の操縦や飛行シーンが興味深かった。零戦の動きは、本当にあんなに軽快に見えたのかどうか知らないが、いかにもそれらしかった。

 サン=テグジュペリは、最後に乗ったロッキードP38ライトニングが、当時の最先端で、あまりにハイテク、計器類ばかりで操縦を覚えるのに苦労したらしいから、華奢で操作性の高い零戦に乗ったら喜んだかもしれない。ちなみに、彼は戦時中も占領下の祖国フランス上空に何度か偵察飛行に出ていて、最期は終戦直前、ライトニングに乗ったまま、敵機の機銃か対空砲にやられて地中海に墜落、戦死している。機体は最近見つかったが、遺体は見つかっていない。戦争の是非とは別に、こうした話にロマンを感じるのは不謹慎なのだろうか。

    サンテックスの作品は、空から地上を見ながらめぐらせた思索の結晶のように感じるが、学徒動員で戦闘機乗りになったパイロットたちの中には、そういう哲学的思索をした者もいたと思うのだが、どうだろう。戦闘機という、もっとも鳥に近い人工物が飛翔する映像を見ることは、それだけで高揚感を感じるが、サン=テグジュペリのように、コックピットの中でめぐらせた想いを描いた作品は、日本にはないのだろうか。

Flight to Arras 

(『闘う操縦士』の英語版。英語版タイトルは『アラスへの飛行』。)

 

 

 主演の岡田准一がよかった。『神々の山嶺』が楽しみ。(幸い、撮影はネパール大地震の直前に終わっていたそうだ。)脇役も熱演で、橋爪功、田中泯が素晴らしい。田中の存在感はなんなんだろう。舞踏家としてのキャリアが培ったものなのだろうが、あれこそを存在感と言う。朝ドラにも出ているが、塩田作りを一から習い、80キロの海水の桶を運んだそうだ。

 また、終盤、二人の特攻隊員それぞれの目から、同じシーンが二度描かれる撮り方が印象的だった。一度目は舌足らずで、編集ミスかと思わせるカットや音声なのだが、二度目で、なるほど、となる。

 

 

 それにしても、自分が小学生の頃、戦記物が漫画にもあり、本にもなっていて、子どもたちは零戦や戦艦大和のプラモデルを作っていたのはなぜだろう?

 わたしは1957年生まれだから、小学生のころというのは、60年代後半。戦後10年から15年くらいのものだ。まだ敗戦の記憶は経験者にとって生々しかっただろうに、ちばてつやの『紫電改のタカ』が連載され、図書館では、撃墜王坂井の物語を借りて読んだ記憶がある。あれは児童書の棚にあったはずだ。(『紫電改のタカ』の企画に、ちばてつやはあまり乗り気ではなかったそうだ。)零戦や紫電、大和や武蔵や赤城、グラマンやスピットファイヤ、タイガー戦車などの名前を覚えたのはこの頃だ。

 子どもだったので、読んだものの裏にある意図までは探れなかったが、それで自分が好戦的になった覚えもないし、戦争や軍隊の理不尽さは、どの作品にも意図してかせずしてか、滲み出ていたと思う。テレビでは『コンバット』が放送されていたが、軍曹役のジャック・モローがかっこいいと思いながら、ドイツ軍にだっていい人はいたはずだ、と子ども心になんとなく思っていた。

 

『永遠の0』も、そういう One of them として見ればいいと思う。日本アカデミー賞に値するかどうかは疑問があるが、いいところもあるし、悪いところもある。

    文学や映画は評価が分かれるものが混在するのが正しい。圧力で、書けない、作れないのがまずい。玉石混交、石にも存在意義がある。

(M.H.)