翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

読書会『魔女のむすこたち』

 月曜日は古典児童書を読む会が、川越の絵本カフェ「イングリッシュブルーベル」さんでありました。課題本はこれ、『魔女のむすこたち』(カレル・ポラーチェク作、小野田澄子訳、岩波少年文庫)。

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 いわゆる、ナンセンスストーリーというのでしょうか、ありえないことが次々に起こり、登場人物はすっとぼけているし、展開もハチャメチャです。

 じつは、わたしはこういうタッチのお話は苦手です。根がまじめなので(?)、布石でもなく、物語に深みを増すための情景描写や心理描写でもない、たしかに可笑しいかもしれないけれど、その場限りで展開には無関係な情報を、その場だけでおもしろがることができず、一生懸命頭のメモリーにおいておいたり、映像化しようとしたりするので、その徒労感たるや……。

 三分の二をすぎたあたりから、このやせっぽちの方が行方不明になり(ヒモみたいに細いので、手芸をしていた女の人の手で、ベールに編み込まれてしまうという、とんでもない理由で)、ふとっちょのほうが船に乗って捜索にでかけるという、話に筋が通る(?)ので、おもしろくなります。でも、全体的には唐突で破天荒な展開の連続で、ああ、ついていけない……、ってなっちゃうのです。

 Kさんによれば、お店に来た方が買っていった本書は、小学五年生の手に渡り、どうやらおもしろく読まれたらしい……。もしかしたら、わたしも幼い頃に読んでいれば、ケラケラ笑って、ああおもしろかった、となっていたかもしれません。

 

 子どもの本に関する仕事をしていてむつかしいというか、限界を感じるのはこういうところです。読書会のメンバーは、図書館員や書店員さんなど、子どものための選書に携わっている方が多くて、子どもの本を選ぶ時に、自分の好みだけでなく、いろいろな基準を使い分けているようです。そうですよね、そうじゃなきゃ、自分の好みにあった本ばかり勧めることになりますからね。もっと広い選択肢や視野をもって本を勧めているのです。

 一時期、わたしも、子どもの本の翻訳をやるのだから、やはり、そういうアプローチで本の評価をしようと努めていたのですが、そのうち、ああ、そんなことは無理だ。たとえできたとしても、例えば、自分ではいまいちだけど、「わたしの知ってる中1の男の子、A君にはぴったりだから翻訳したい」などとはとても考えられないでしょう。自分がおもしろい、と思えなければ、200ページも300ページも訳せませんって。だから、当分、いや、たぶんずっと、気に入った本ばかり訳すと思います。

 

 ところで、この本、ヨゼフ・チャペックの挿絵がこれまた脱力系で、内容にぴったり。いや、この挿絵がなきゃおもしろさも半減するだろう、という意見も出たくらい。

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 しかし、チェコのユダヤ人であったポラーチェクもチャペックも、じつは1945年にホロコーストによって命を落としています。それを考えると、こうした力の抜けたお話を書いていた背景には、じつは、そう単純ではない理由があったようにも思われます。

 

 上の写真の岩波少年文庫版は、昨年2018年に出た、というか、復刊されたもので、きっと、それだけファンがいて、今の子どもたち(大人たち)にも読んでもらえるという判断なのでしょうね。

 

(M.H.)