先週の金曜日。早朝、窓から入る風に吹かれて目がさめてしまいました。眠れなくなって、NHKラジオ第1をつけると、突然、アラビア語が流れてきてびっくり。
『アラブ、祈りとしての文学』(岡真理著、みすず書房)
なんだなんだ、夢の続きか、と寝ぼけた頭で考えていると、しばらくして日本語が流れてきました。ラジオ深夜便の再放送、「人間の尊厳を問うパレスチナ文学」でした。ゲストスピーカーは京都大学教授の岡真理さんです。
と、こんなことは、その時はわからず、あとから調べたことです。でも、岡さんの、イスラエルによるガザ地区の完全封鎖の話は衝撃的でした。詳しいことは正確に語る自信がありませんのでやめておきますが、イスラエルによって封鎖され、「野外監獄」とでもいうべき状況におかれたガザ地区に暮らす180万人のパレスチナの人々(アラブの人々ですね)の現状に対する自分の無知が恥ずかしくなりました。
児童文学を翻訳している身として、ホロコーストを扱った作品にはなじみがあります。自分でも『フェリックスとゼルダ』という作品を翻訳しましたし、『ぼくの心の闇の声』にもサバイバーの老人が登場します。ナチスドイツによるユダヤ人迫害は、さまざまな文学作品のテーマとなり、すぐれた作品も数多く生まれていますし、今も生まれ続けています。わたしが来年にも翻訳しようとしている作品も、まさにこの問題をテーマとしています。
ホロコーストものは、差別や迫害という人間の心にひそむ闇を、万人に共通する問題として提起するのに格好のテーマであり、ナチスドイツとユダヤ人という、特定の国家と民族の問題を、広く現代社会や人間の本質に敷衍して考えることのできる人類の貴重な負の遺産と言えるでしょう。
しかし、一方で、現代の国際社会には、戦後、ユダヤ人がパレスチナ人を押しのけて建国したイスラエルという国家があり、また、世界中で、とくにアメリカ社会でユダヤ人が活躍し、経済や文化や政治に強い影響力をもっていることを忘れてはなりません。ナチス=悪、ユダヤ人=正義、という図式を、今の国際情勢にあてはめることにつながってしまう危うさがあるのです。つまり、ユダヤ人=正義とするなら、それをバックアップするアメリカは正しく、テロリスト=ISに代表されるイスラム原理主義=ガザ地区の正当な政治代表であるハマス=悪、という図式で見ることの危うさですね。
この放送を聞いたあと、少し調べてみましたが、どう考えても、今のイスラエルによるガザ地区の完全封鎖は許されるべきものではなく、そうした行動を、かつて迫害を受けたユダヤ民族の国家イスラエルが、国連のパン事務総長の非難にもかかわらず続けていることに、一筋縄ではいかない民族や国家というもののことを考えざるを得ません。さらに、安倍内閣による安保法制の見直しにより、集団的自衛権の範囲を拡大した今、日本は、アメリカに支援されたイスラエル政府を間接的に支援する度合いを強めたとも言えるわけで、ある意味、わたしたちが選んだ政府が、ガザ地区の完全封鎖に手を貸している、ということになりかねません。
そして、ラジオからいきなり流れてきたアラビア語に、すわ、NHKがアラブの放送局に乗っ取られたか、と、一瞬でも思った自分を恥ずかしく思うばかりです。そこには、アラブ=悪、という刷込みが垣間見えます。若いころにイラクに1年以上暮らしていた身として、自分は絶対にそんなことはないと思っていたのに、やはり、アラブ世界やイスラム教徒をひとくくりにしてしまう見方に毒されてしまったのかもしれません。
岡さんの専門はパレスチナ文学です。パレスチナの人々が、数十年にもおよぶ苦しい生活の中で、爆弾とガレキばかりが映るテレビ報道では伝わらない人々の思いを、文学という形で発信してきたパレスチナの文学者たちの代弁者であろうとして、岡さんは朗読劇などをはじめとする活動を展開しています。そのあたりのことは、まだ、ここになにか書けるだけの知識はありませんが、今後は、関心をもって、さまざまな情報に接していたいと思いました。
ああ、そうだ。岡さんはわたしの母校である東京外大でアラビア語を学んだ方です。ちょっぴり親近感を覚えました。そして、児童文学でも、もう少し、アラブの人たちのことを扱った作品に目をむけてみようと思います。
(M.H.)