荻窪の書店「Title」の辻山良雄さんのエッセイ集『小さな声、光る棚』を半分くらいよみました。
絵葉書は本と一緒に同封されていたもので、お店の写真ですね。訪ねたことはありませんが、そのうちに行きたい。エッセイはとても心地よい文章ですが、辻山さんの書店に対する思い入れがわかる前半でした。後半、コロナ禍でのこともしっかり読みたい。
で、ネットを見ていたら、このエッセイ集のもとになった、「本屋の時間」という辻山さんのコラムにいきあたり、今日、8月1日の記事で、オリンピックのことが書かれていました。
選手たちのすばらしいパフォーマンスやはじける笑顔を見れば当然心を動かされるが、それを利用するものの存在もこの度はっきりとしてしまったし、何といってもこの感染状況である。世のなかに違う考えの人がいるように、自分のなかにもそれぞれ違う〈わたし〉が棲んでいて、……
まさに、わたしもこんな感じ。好きなサッカー日本代表の試合は全部追っているし、彼らの活躍には喝采を送りますが、たとえ金メダルをとったとしても、世界の情勢を考えたら、控えめに喜ぶにとどめてほしい。手放しに喜べないことを理解していてほしいと思う。アスリートはそれぞれの立場で目標にしてきた大会であることはまちがいないけれど、東京大会にまつわるあれこれは、もう、たとえ選手であっても、そういう純粋なスポーツ選手としての立場だけで語ってはいけないと思います。
それにしても、毎回、思うけれど、マスコミのメダル偏重報道はひどいものです。ろくに相手国や相手選手の情報にふれなかったり、コロナの影響が外国選手の日本への遠征にどれほどの負担を強いているか、あるいは、不可能にしたのかをきちんと報道すべきでしょう。それで日本のメダル数が増えたって、ホスト国として果たして誇るべきことなのか?
辻山さん、コラムの最後に、拙訳『ぼくは川のように話す』を紹介してくださっています。ありがとうございました。
言葉がいつもうまく出てこない「ぼく」の話し方が川のようだなんて、考えたことがあっただろうか。瑞々しい絵が記憶に残る、胸を打つ絵本。
どうぞよろしく。
(M.H.)