翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第5回 図書館の思い出

『バスラの図書館員』という本は、イラクのバスラで本当にあった話で、イラク戦争の戦火から図書館の本を守るために、3万冊もの本を自宅や友人宅に保管して守った女性の話です。

バスラの図書館員―イラクで本当にあった話

バスラの図書館員―イラクで本当にあった話

 

 じつは、わたしは1981年から83年にかけて、このバスラに暮らしていました。残念ながら、この図書館に行く機会はなく、どこにあったのかも知りません。この図書館員さんが守った本は、今はどうなっているのでしょうか? ちょっと、いや、かなり心配です。

 日本の図書館員さんたちも、いろいろ苦労しているという話を、よく耳にします。図書館も、図書館の本も、図書館で働く人たちも、大切にされる国であってほしい。

 

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第5回 図書館の思い出 

(2007年10月1日掲載記事 再録)

 

 わたしが少年時代を過ごした家は、図書館のすぐ近くにありました。縁側に立つと、庭越しに民家のあいだから図書館が見えるほどでした。雨の日、所在なく外を見ていると、図書館の屋根瓦の端に立つ尖った飾りが、黒いペンギンに見えたものです。

「あ、図書館の屋根にペンギンがいる!」そう言ったのはわたしだったか、弟だったか。母が時おり思い出して語る、幼い頃のエピソードです。

 これは、わたしが小学生の頃の話ですから、昭和三十年代から四十年代ということになりますが、この市立図書館は昔の小学校跡で、一棟しかない二階建ての木造校舎の一階を図書館として使用していました。ですから校庭があり、周囲を土手がとり囲んでいて、大きな松の木が何本も植わっていました。近所の子どもたちの格好の遊び場で、校庭跡で三角ベースをしたり、周りの土手の上を自転車で走ったり、変電所の跡らしき錆びた鉄格子をジャングルジム代わりにして遊んだものです。松の木にもよく登りました。

 一本、斜め四十五度に生えた松があって、勢いをつけると途中まで駆け上がることができました。幹の上まで登れば、枝がちょうど椅子のように広がっていて、背をもたせかけて座ると、空と海が見えました。正月二日、三日に行なわれる箱根駅伝の平塚中継所まで数百メートルの場所でしたから、見えるのは相模湾です。箱根や伊豆の山々、富士山も見えました。母方の祖父は箱根駅伝が大好きで、幼い頃には、一緒に駅伝の襷リレーを見物に行きました。当時はまだジープによる伴走が許されていて、拡声器で「イチ、ニ、イチ、ニ」とランナーを励ます声が遠くから近づいてきたものです。

 

名作と出会った小学生時代

 ああ、そうそう、図書館の話でしたね。この図書館、さっきも書いたように、古い木造校舎だったので、中に入ると、暗くてじめっとした臭いがいつも漂い、なにか出てきそうな雰囲気がありました。木の床に染みこんだタールの臭いだったのかもしれません。幼かったのでよけいにそう感じたのでしょうが、わたしの記憶の中にあるこの木造の図書館は、天候にかかわりなく薄暗くて、ちょっと怖い雰囲気なのです。中学生になる頃には、もう鉄筋コンクリート造りの新しい図書館が別の場所に建てられていたと思うのですが、古い図書館の建物はしばらくそのまま残っていました。しかも、台風で倒れないよう、南側に数本の丸太でつっかい棒がしてあったのを憶えています。きっと、そちらに傾いていたんでしょうね。今ならちょっと考えられない話ですが、うそみたいなホントの話です。

 小学生の頃、わたしはこの古色蒼然とした図書館で、ホームズやルパンを借り、アーサー・ランサムを読んでいました。薄暗い図書室の中、書棚に並んだ薄汚れた背表紙の奥に、霧の街ロンドンや湖水地方の湖が潜んでいたのです。今思えば、とても不思議な空間でした。戦前に建てられ、空襲を免れた東洋の小さな木造の建物の中に、ヨーロッパの街につながる秘密のトンネルがあったのです。そう、わたしにとっては、少し大げさに言えば、ナルニアに出てくる屋根裏部屋の衣装ダンスみたいな存在だったのかもしれません。

 そして、これは両親に感謝しなければなりませんが、家では、ちょうど刊行が始まった少年少女世界文学全集(どの出版社のものだったか記憶がありません)の配本が毎月あり、本が届くのが待ち遠しくてしかたありませんでした。『小公子』、『小公女』、『三銃士』、『モンテクリスト伯』、『ロビンソン・クルーソー』、『八十日間世界一周』、『ガリバー旅行記』、『十五少年漂流記』……、ほとんどが抄訳だったと思いますが、川端康成や井伏鱒二を含む(と記憶しています)豪華な訳者でこうした古典を楽しんでいたことを思うと、なんと恵まれた読書生活だったのだろう、と思います。おそらく、今のわたしの読書傾向や、翻訳者としての基盤は、この頃に培われたのだと言っても過言ではないでしょう。夜、寝たふりをして、豆電球の明かりを頼りに続きを読みふけり、親に叱られたものです。おかげで、視力は小学校の高学年から急速に低下しましたが、本が面白いものだという実感は、抜きがたくわたしの胸に刻まれました。

 

地底の図書館

 初めて図書館に足を踏み入れてから四十年あまりの年月が過ぎました。そして、あの図書館だけでなく、その後通ったどの図書館にも、それぞれの思い出があります。

 昼休みになると、好きな女の子が本を読みにくるのを目当てに通った中学校の図書室。閉架式で使いづらかった大学図書館は在学中に立て直され、開架の蔵書が一気に増えたのを憶えています。就職して赴任した愛媛県新居浜市の市立図書館にも足を運びました。翻訳の勉強を始めた頃、貸しアパートの、これもすぐ近所にあった埼玉県所沢市立図書館の吾妻分館は、緑に囲まれた小さな図書館で、かわいらしい建物でした。航空公園の隣にあった本館では、昼間から資料コーナーで辞書を使うたび、不審そうな目でにらんでくる係のおばちゃんがいましたっけ。ありがたいことに、どこの町に引っ越しても、図書館には恵まれていたと思います。

 さらに、よく児童文学の資料を見にいった日比谷図書館や、インターネットがまだ使えない頃、おそるおそる出かけていった国会図書館、イギリスの作家や作品を調べにいった飯田橋のブリティッシュ・カウンシル(通称ブリカン)の図書室も思い出深い場所です。

 そして、今暮らしている埼玉県東松山市の図書館も、十七年前に引っ越してきた時にはできたてのきれいな建物で、二階の資料室にはOEDやアメリカーナ、ブリタニカの原書版までそろっているのを見て感激した記憶があります。よっしゃ、ここはおれの書斎だ、と思ったものです。今でも、こんな埼玉の田舎(失礼!)の図書館に、なぜOEDがそろっているのか、不思議でなりません。

 現実の図書館ばかりではありません。わたしが翻訳したファンタジー、ガース・ニクス原作の古王国記シリーズ第二巻『ライラエル』には、氷河の山に暮らすクレア族という女系一族の図書館が出てきます。この図書館、山の岩盤を深く掘り下げて作られていて、螺旋状の通路が延々と地中深くまで通じ、その左右に無数の部屋があって、書物ばかりか、武具や衣装なども収められ、おまけに、危険な怪獣までも潜んでいるという設定なのです。読者にも評判がいいのですが、おそらく図書館と聞いただけで、本好きは心をときめかせ、勝手に想像の翼を広げてしまうからなのでしょう。物語は、主人公の少女ライラエルが、この図書館の司書になるところから動き始めます。

 

わたしの訳書も図書館に

 ここまで書いてきて、それぞれの図書館の内部が鮮明に記憶に残っていることに驚きました。わたしにとっても、やはり図書館は特別な場所なのでしょう。

 図書館のもつ、あの独特の雰囲気。まるで、「ここにある書物はすべて、あなたに読んでもらうのを待っている書物です。お金を払う必要はありません。急いで買わなくても売り切れることはないし、地下の書庫に入ってしまうかもしれませんが、捨てたりはしません。いつまでも待ってますよ。そうです、ここにある本は、すべてあなたの本なのです。さあ、ゆっくり選んでください」そう言われているような気がしませんか? 圧倒的な本の集積、それでいて、書店のような押しつけがましさはなく、いつも静かに待っていてくれる。大げさに言えば、本というものの存在が、もっとも自然でふさわしく感じられる空間なのです。

 そして、わたしの訳書も、あちこちの図書館に収められています。児童書が多いせいもあるのですが、わが東松山市の図書館は、ほとんどおいてくれています。児童書は、読者となる子どもたち自身ではなかなか買うことができません。少ないお小遣いから、二千円近くもする本を買ってくれとは言えませんよね。となると、親に買ってもらうか、図書館で借りることになります。本好きの子どもは一週間に何冊も読むわけで、図書館がなかったら、とてもじゃないけど、その読書欲を満たすことはできません。

 ですから、児童書はかなりの確率で、全国の図書館に購入されていきます。本当は、書店で買ってもらい、印税になるにこしたことはありませんが、自分が図書館に育てられたことを棚に上げて、そんなことも言えませんしね。

 

 図書館が一番にぎわうのは、夏休みや冬休みです。どこの図書館でも、学生たちが朝早くから入口に並び、二階や三階にある学習室の席をとる光景が見られます。快適に空調された図書館では、さぞかし勉強もはかどることでしょう(あまり、そうは見えませんが……)。でも、学生諸君、学習室は本来の図書館の機能ではないのだぞ。たまには階下の書棚をながめて見たまえ。と、まあ、おじさんは苦言の一つも呈したくなります。

 ところが、先日、奇特な中学生らしき女の子を見かけました。彼女は、書棚の端にある机の上に、貸し出し手続きを終えたばかりの新着の図書を五冊ほど重ね、椅子に腰かけて、ぱらぱらとページをめくっていました。しかも、その積み重ねられた背表紙の下から三冊目は、ああ、まごうかたなき、わたしが翻訳したファンタジー小説! 「お嬢さん、あなたは偉い! その本はね、じつはこのわたしが……」思わず声をかけようかと思ってしまいました。

 

 きっとあなたにも、心に残る図書館があるのではないですか? (M.H.)