翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

あらすじでは伝わらないこと

「あらすじ」は「粗い筋がき」であって、作品の一面でしかありません。リーディングで原書を読んでレジュメを書く時、どうしても、あらすじと感想の二本立てになりがちです。すなわち、ストーリーと面白かったかどうか、という二点で書いてしまいがち。

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 もちろん、登場人物の造形や情景描写のうまさ、会話の妙、スピード感、言葉遣い、対象年齢などにも注目するのですが、作品の良し悪しを決めるのにもう一つ大切なことがあるような気がします。

 それは、「なにが書いてあるか」です。いや、もう少し説明すると、ストーリーの中心から少しはずれたところになにが書いてあるか、です。そうでなければ、奇想天外な、あるいは起承転結をきっちり守ったプロットができれば、それで小説は完成したことになってしまいますからね。

 

 なぜこんなことを言い出したかというと、今翻訳している小説は、あらすじを説明しただけでは伝わらないところに良い文章がたくさんあるからです。ストーリーを前に進めるためにはなくてもいいのだけれど、でも、作者の書きたかったことはもしかしたらここにこそあるんじゃないかと思わせるようなことが、登場人物のセリフや心情の描写にのせてあちこちに現われています。

 逆に、最近読んだある原書は、ストーリーはとても面白いのに、なぜかあまり魅力的な作品に思えず、結末は知りたいのですが、途中で読むのをやめてしまいました。それは、たぶん、こうした細部の魅力がないからだと思います。でも、その作品はそれこそレジュメにあらすじを書いたら、「おっ、面白そう」と絶対思うと思います。でも……。

 

 以前、リーディングのやり方について書いたことがありますが、こういう視点はうまくその中に盛りこめていなかったかもしれません。今、訳している作品は、もちこみで3社目の編集さんが気に入ってくれたのですが、わたしは3社とも同じレジュメを出しています。編集者の趣味の違いもあるでしょうが、じつは、この3社目の人は原書を読んでくれていました。たぶん、それで、この本の魅力に気づいたんだと思います。その前2社の編集さんは、原書は読んでいないと思います。そういう意味では、わたしのレジュメが舌足らずだったわけですね。

 

 本の魅力を伝えるのはむずかしい。

(M.H.)