昨日に引き続き、「クラブ」のことを。今日は「日本YA作家クラブ」です。
このクラブは、ヤングアダルトむけの作品を発表している作家・翻訳家の集まりで、作家の梨屋アリエさん、翻訳家の金原瑞人さん(というか、わたしの師匠ですが)らが発起人となってできた会です。わたしも、途中からメンバーに入れてもらいました。
HPはこちら。【 日本YA作家クラブ 】
ヤングアダルト文学というのは、主に10代の読者を想定して書かれた作品、ということになるのですが、ただでさえ文学の分類というのは曖昧なところがあるのに、こうした、年齢層による作品の分類というのはさらに曖昧です。児童文学との境目はどこにあるんだ、とか、大人の鑑賞には耐えないのか、とか、ライトノベルとのちがいはなんなんだ、とか、コミックとの読者のとりあい、だとか、いろいろ認識や現状に問題があります。それに、対象年齢と作品の内容(ファンタジー、冒険もの、推理、恋愛、学園、SF……)は、また別の分類なので、縦軸・横軸で考えると、さらに分類がむずかしくなり、分類しなくちゃいけないのか、という話にもなります。たとえば、直木賞をとった『蜜蜂と遠雷』は、あれはヤングアダルトだと思いますしね。
ちょうど、梨屋さんが、ご自身のブログで「ヤングアダルトとはなにか」という記事を書いてくださっていますので、リンクを張っておきます。(梨屋さんの記事は、完結していませんが、言葉の定義についてはくわしく解説してくださっています。目次はできているので、これから継続して解説してもらえると思います。)
というわけで(何が?)、いろいろあるのですが、自分としては、原作者がヤングアダルトだと意識して書いたと思われる作品を、日本の若い読者を意識して翻訳している場合が多いのは確かで、作り手側の意識としては、ヤングアダルト作品だと思ってやっています。
さらに言えば、じつは読者よりも、まず自分が原作を読んだ時におもしろいと思ってしまうわけで、別に上から目線で、「おい、これ読め」的に翻訳をしているわけではありません。
おとといのやまねこ翻訳クラブのインタビューでは、たとえば『肩胛骨は翼のなごり』のような、もとはヤングアダルト・児童書だった作品が、一般向けに翻訳される意義や問題を尋ねられたのですが、なかなか、一言で答えられませんでした。
世に出てしまえば、本は作家のものではなくなるところがあって、意図せざる読者層に(そもそも、日本人の読者なんて想定してないだろうし)読まれていくのは、それはそれで面白い現象だし、そこに運・不運みたいなものはあるけれど、大げさにいえば、芸術というのはそういうものだ、と思います。(あ、おととい、こういう風に答えればよかった……)
ともかく、好きな本を選んで訳してる自分としては、その中に、いわゆるヤングアダルト小説があって、英語力の問題もあるのですが、 とても心地よく、楽しい読書ができるのはまちがいありません。で、自分が面白いと思った本は、人にすすめたいじゃないですか。ねえ。
昨日、塾の授業中に、高一の生徒が、面白いと言ってた本は、今野敏のSTシリーズでした。貸してもらうことになってます。楽しみです。
(M.H.)