昨日の記事で、ヒューズの『夢の番人』を紹介しました。
拙訳、『ハーレムの闘う本屋』の原題は"No Crystal Stair"。このフレーズも、ヒューズの詩の一節です。
原詩、"Mother to Son"の出だしはこう。
Well, son, I'll tell you:
Life for me ain't been no crystal stair.
ヒューズの訳で有名な木島始さんの訳はこうです。
なあ、むすこや、おまえにいっとくが、
世の中ちゅうもんは、このわしには水晶みたいな階段じゃあなかったぞ。
今回、『ハーレムの〜』の引用部分で、わたしはこう訳しました。
息子よ、お聞き。
わたしの人生は水晶の階段じゃなかった。
ヒューズの原詩は、黒人英語をそのまま使い、hasn't を ain't、I've や I'm を I'se、going を goin' 、kind of を kinder としています。そうした少し崩れた英語の感じを出すために、木島さんは、ややなまった日本語にしたのでしょう。語り手は母親ですが、「わし」にしています。
今回、この木島さんの訳を知りながら、あえて、「わし」はやめて「わたし」とし、黒人英語のなまりを表現するのはあきらめました。理由のひとつは、もとの詩は、そのなまりによってかえってリズム感が出て、とても力強い感じがするのに、日本語でなまってしまうと、その力強さが薄れてしまうと思ったからです。
また、「母から息子へ」というタイトルがついていますが、広い意味で、しいたげられてきた黒人の前の世代から、新しい世代へ、という意味もあるような気がしたからです。今回、セミナーでは、女性が朗読している音声を流しましたが、とても凛々しく、力強い朗読でした。
セミナーの時に使ったYouTubeの音声・映像は、女性の朗読まで再生したところでカットしましたが、じつはそのあとにヒューズ本人の朗読音声が入っています。ヒューズの声はやさしくて、あまりなまっているようには感じられません。むしろ、とてもやわらかに聞こえます。
リンクを貼っておきますので、聞いてみてください。
( "Mother to Son" Langston Hughes poem GREAT ... )
そんなこともあって、わたしの全訳はこうなりました。
息子よ、お聞き。
わたしの人生は水晶の階段じゃなかった。
あちこちで鋲が浮き、
板が割れ、
尖った木切れが落ちていたし、
絨毯がはがれ、
床がむきだしのところもあった。
でも、いつだって
わたしは上りつづけ、
踊り場にたどりつき、
角を曲がり、
時には明かりひとつない
暗闇の中に入りもした。
だから、息子よ、引き返してはいけない。
ちょっとつらいからといって
腰をおろしてはいけない。
ここで倒れてはいけないーー
わたしだってまだ足を止めていないのだから、
上りつづけているのだから。
そう、わたしの人生は水晶の階段じゃなかったけれど。
今回、登場人物で実在の人については、何人か、インターネットでその肉声を聞くことができました。翻訳にあたって参考にしたのは言うまでもありません。
わたしが詩を翻訳するのは、小説の中に引用されている場合がほとんどです。有名な詩が多いので、たいていは原詩も訳詩も入手でき、解釈や訳例を確認しながらアレンジしていくことになります。
英詩は脚韻を踏んでいる場合が多いのですが、それを日本語に移すのは難しいので、多くの場合は無視します。すでにある訳詩が、単語や行ごとの意味に忠実に訳してある場合、時にリズム感が失われていることがありますが、せっかく、散文の中に引用された韻文なのに、リズム感がなければ詩を引用する意味がない。で、結局、全体のリズム感重視で訳すのですが、とどのつまり、七五調に近いものとなります。小説の中ではなく、章の冒頭に引用されている場合も、やはり、同じことが言えます。
とにかくリズム感、と思って訳します。
(M.H. )