翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

『「無言館」ものがたり』

 先月、長野県上田市にある、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を訪れて以来、もう少しあの美術館について知りたいと思っていたので、開設者の窪島誠一郎さんの書いた『「無言館」ものがたり』(窪島誠一郎著、講談社、1998年)を読んでみました。 

「無言館」ものがたり

 

  この本は、「無言館」開設の経緯を、窪島さん自らが子どもむけに書いた作品で、1999年に第46回産経児童出版文化賞のJR賞を受賞しています。

 

 窪島さんが、やはり戦地に赴いたものの、戦後、復員して画家として活躍された野見山暁治さんと出会い、戦死した画学生たちの作品を集めた美術館を作るという構想を得、全国の遺族に会いに行き、作品や遺品を集め、資金を調達して開館するまでのルポルタージュです。

 無言館に飾られた絵を見た時にも思いましたが、この本もやはり、戦争という無慈悲な出来事をぼんやりと振り返るのではなく、画学生ひとりひとりの経歴や作品が目の前にあることによる、いわば「戦争の記憶の具体化」を感じます。「日本という国」が、海のむこうの「アメリカという国」と戦争をして、「苦しい時代」を経て、「戦後復興」をとげた、という、上っ面ではなく、画学生とその家族たちの重い出来事の集積となるのです。

 たとえば、わたしと同姓の原田新さんという画学生が、「大正8年3月16日、山口県徳山市に生まれ、昭和12年4月に東京美術学校の油画科に入学し、16年12月に繰り上げ卒業し、17年12月末に入営、18年8月7日にニュージョージア島近海において戦死。享年24歳」と紹介され、彼の描いた絵がカラー写真で口絵に載っているのを見る時、戦争という理不尽な歴史的事実と、あの時代に生きて絵を描き、戦地で死んでいった一人の人間の人生が、圧倒的な存在感をもって迫ってくるわけです。

 無言館という美術館の存在意義は、まさにそこにあると言っていい。現地で絵を見た時は、時間がなくて、一人一人の画学生の経歴を細かく確認しながら絵を見ることはかないませんでした。この本で、それが少し果たせたと思います。次回は、この本をもって無言館を訪れたいと思いました。

 

 それにしても、この窪島さんの情熱と努力には頭が下がります。多くの人が協力を申し出たのもうなずける話でした。美術館を訪れただけではわからない、遺族の方たちとの印象的なやりとりが書かれているのも、この本の読みどころです。

 終わりのほうに、「画家には二つの生命があるといえるのかもしれない。生身の生命と、作品にこめた生命と。画家は亡くなっても、作品は生き残る」という趣旨の記述が出てきます。これも、まさに無言館で感じたことでした。

 

 今、日本政府は、核兵器禁止条約に反対し、原発を次々に再稼働しようとしています。その裏には核の抑止力や、資源安全保障などの論理があるのだろうし、国家運営は情に訴えるだけではできないことはわかっています。しかし、一方で、安倍首相は国会で、自衛隊員の努力を讃えるために拍手起立を促すという、情に訴える、いや、全体主義的な「情で縛る」世論操作を試みました。

 

 

 無言館とその絵は、こうした流れの中で、とても大切な存在だと改めて思います。

haradamasaru.hatenablog.com

 

(M.H.)