翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

読者の顔が見える! (翻訳勉強会3−1)

 月曜日は川越( Ehon Cafe - English Bluebell - )での翻訳勉強会の日。今回と次回の2回は、ロバート・コーミアが新聞に書いていたコラムから、夫人がピックアップして編集した "I Have Words To Spend, Reflections of a Small-Town Editor". というコラム集から2編をとりあげました。

 I Have Words to Spend: Reflections of a Small-Town Editor

 ちょっとおもしろい趣向でやってみたので、以下、その説明です。

 まず、メンバーを二人一組にして、ペアの一人は(A)という作品、もう一人は(B)という作品を訳し、事前に相手に訳文を送り、読んでおいてもらいます。ただし、それぞれは自分の訳したものの原文しかもっていないので、相手の訳文をチェックする時には原文との突き合わせができません。日本語だけを見て、おかしなところはないか、わかりにくいところはないか、あるいは、ぐっとくる文句、情景がまざまざと浮かぶ文章など、できれば長所も指摘します。

 なぜこういうことをやろうと考えたのかというと、自分の訳文をチェックする時、あるいは勉強会で課題をみんなで検討する時は、どうしても原文との突き合わせから入ってしまいます。でも、読者はそんなことはしないし、日本語だけ読んで、泣いたり、笑ったり、あるいは、読みにくい文章だな、と思ったり、つまらないからもう読まなくなったりするわけです。

 ですから、本当は、自分の訳文の仕上げの段階では、そういう読み方をしなければならないのですが、わかっていても、やはり原文に引っ張られてしまうわけで、今回のように突き合せる原文がなければ、否応なく日本語だけの評価になり、この経験がひいては、自分の訳文をチェックする時に役立てばいい、と考えたのです。

 編集者さんの多くは、原文との突き合わせをせずに、まずは訳文だけ読んで赤を入れてくれると思うのですが、今回は、第1の読者とも言える編集者の気持ちもちょっぴり味わってほしいと思いました。

 この日は基本、ペア同士で1時間ずつ攻守交代して意見交換しました。チェックする側の人は、日本語だけでもなんか変だな、と思っていたところについて、初めて原文を見せられて、なるほど、こうなってるのか、じゃあ、こうしたら、という意見も思いついたりしたようです。一人一人がいつもよりたくさん意見を言うことができたこともあり、みなさん、おもしろかった、と言ってくれました。

 次回は、これを受けてブラシアップしたそれぞれの訳文を検討します。

 

 

 あ、ちなみに、コーミアの書く小説の文は、シャープで陰があるというか、少し暗い感じがするのに、コラムの文章は柔らかくて温かいものが多く、わたしは大好きです。ただ、コーミアの知名度から言って、なかなか日本では出せないだろうと思いますが。

 今回の(A)は、墓地に幼い娘をつれていった時のことを綴った文、(B)は、母の日の前日に掲載された、母の手をテーマにした文でした。

 

 わたしの訳したコーミア作品はこれ。短いですが、胸に刺さる作品です。カバー絵は高橋洋々さん。木の板に書いた絵だそうで、よくみると木目が透けて見えます。装幀は鳥井和昌さん。このころはコーミアを一生懸命読んでいて、訳させてもらえることになった時はほんとうにうれしかったのを覚えてます。

ぼくの心の闇の声

 

 

 

    ああ、そして、上の "I Have Words To Spend" の表紙に使われている絵は、エドワード・ホッパーの "Office" ですね。ホッパーの絵は描かれている部屋が人間にくらべて妙に広くて、独特の空気感があります。現代的なのに、どこか懐かしい。

 

(M.H.)