翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

変化を選べる社会へ

 参院選が明日に迫っています。今回の選挙で政権を変えることはできませんが、その第一歩にすることはできます。

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 わたしは二十代の時に、一党独裁政権の国に二度、長期滞在したことがあります。

 最初は、サダム・フセイン政権下のイラク。二度目はペレストロイカ以前のソ連です。

 

 1980年代前半のイラクには一年余り滞在しました。イラン・イラク戦争は小康状態で、フセイン政権は安定し、バース党による社会主義体制と石油収入によって、一見、イラク国内は平穏でした。主要な製品は価格統制されていたと思うのですが、物価は安く、治安もよかった。外国資本もたくさん入っていて、インフラの整備が進んでいました。

 しかし、イラク人従業員たちは、壁にかかったフセイン大統領の肖像写真を横目で見ながら、ぐちをこぼすこともありました。コネがものを言い、一般人は出入国が自由にできません。もちろん、反政府的な発言などとんでもないことでした。バース党員は、職場でのランクとは別の力を行使していたように感じます。

 アルメニア人などの少数民族は政府機関では出世できず、町には、青と白の交通警察のパトカーとは別に、カーキ色の車体に、中央に「目」があしらわれた治安警察のマークをつけたパトカーが走っていました。わたしたち外国人も、やたらに写真を撮ったりすれば捕まると言われ、カメラはもっていきませんでした。実際に、道路で写真をとって刑務所に収容された日本人商社マンもいたと聞きます。

 日本人は憲法9条のおかげもあったと思いますが、イラク人はフレンドリーに接してくれました。9条の力が弱まってしまった今、あの頃のような日本への信頼感はないでしょう。

 アメリカの介入は、独裁政権が倒れたという効果はあったものの、社会は混乱し、果たしてあの頃とどちらがよかったのかと言えば、たぶん、暮らしの安定だけ考えれば、当時の方がよかったと考えるイラク人もいるかもしれません。

 でも、しかし……。

 

 ソ連の西シベリアに4ヶ月滞在したのも、やはり1980年代の前半でした。共産党一党独裁だった当時、われわれ外国人労働者には常に通訳(兼監視員)がつき、移動の自由は制限されていました。仕事をしていた西シベリアの炭鉱町には、四隅に銃をもった監視兵がいる強制収容所とおぼしき施設がありましたし、親しくなったロシア人からもらった本は、帰りの出国審査であらかた没収されてしまいました。

 それでも、やはりロシヤの人たちはフレンドリーで、革命記念日はすでに政治的な意味よりも、毎年の一大祝祭日の感が強く、赤旗をもった人々は、くったくのない笑顔で雪景色の中を楽しげに行進していたのが印象的です。

 ペレストロイカで自由化にむかったと思われたソ連も、経済発展とは別に、プーチン政権下でのさまざまな締め付けがあることは想像できますが、あのころよりは、いろいろな面でましなのかもしれません。

 

 

 わたしはこの二度の経験で、自由にものが言えて、書けて、発表できて、どこへでも旅行ができて、医療や教育は一定程度国民みなが受けることができる今の日本が、どれほど恵まれているか、わかっているつもりです。

 戦争をしない国の国民として、どれほど外国の人たちが日本人にフレンドリーに接してくれていたか、身をもって感じています。

 じつはもう崩れかけてきている、こうした日本の戦後民主主義の根幹をなす権利や制度が、じつは世界の多くの国であたりまえではないことも知っています。いろいろな偶然が重なって、戦後75年間の、つまり、自分が生きてきた日本は、稀有に恵まれていたこともわかっています。

 

 でも、実感していない人も多い。

 

 先日のエントリーでも書きましたが、硬直化した政権や官僚機構がもっとも怖いと思います。民主主義的な手続きや監視体制を維持しつつ、世界の変化に対応できる政治が望ましい。多少の失敗はあったとしても、修正する力をもった社会になっていってほしい。変わることを恐れない政治であってほしい。そうでないと、国民も変わることを恐れるようになり、能力を創造的に用いる国民ではなくなって しまいます。いや、なりつつある。

  また、いろいろなところに見える差別の意識(女性、障害者、外国人、etc.に対するもの)がなくなっていってほしい。既得権益を守ろうとする人たちは、権利の不平等を利用しようとします。 

 

 今のまま自公政権が続くと、日本はジリ貧だと思います。彼らは現状維持と保身のために動いているようにしか見えません。

 

 政権与党が緊張感をもつような、そして、適切に変化していくような、また、それに応じて行政がフレキシブルに対応でき、すべての経緯が国民に可視化されているような、つまり、まっとうな民主主義を維持するために、今回の参院選はその第一歩にしたいものです。

 

(M.H.)