翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

コラム再録「原田勝の部屋」 第4回 パソコンをどう使う?

 パソコンは去年更新し、今は5台めのMacです。スマホがiPhoneなので、いろいろと便利ですね。訳文を書くには、もう、ずいぶん前からMac用オフィスのワードを縦書きで使っています。

 辞書は、串刺し検索ソフトJammingがサービス終了したので、今は後継のLogophileにランダムハウスとリーダーズ+プラスを入れて使っています。もっと辞書データを入れたいのですが、CDROM版の辞書がだんだん作られなくなっているようで、困りました。電子辞書に組みこんで売るか、ウェブで有料で、という形に移行しているようです。

 紙の辞書は研究社の大英和とCOBUILD、ネット辞書は、紙のウィズダム英和を買った時についてきたオンラインサービス、Weblioの用例検索や類語辞典などをよく使っています。

 デスクトップには、2007年の本稿掲載時と同じように、本文、かな漢字表、メモ(今はエクセルで作っています)、辞書の画面を常時ひらいています。基本的なやり方は変わっていません。

f:id:haradamasaru:20150227233558j:plain

 

 

 第4回 パソコンをどう使う? 

(2007年9月18日掲載記事 再録)

 

 わたしが翻訳を始めた頃は、パソコンが今ほど普及しておらず、わが家にはワープロ専用機しかありませんでした。こいつにはずいぶん世話になったので、悪口を言うつもりはありませんが、利点と言えば、原稿用紙や鉛筆、消しゴムを使うことなく原稿が書ける、という一点でした。

 なに言ってるんだ、決まってるじゃないか、と思われるかもしれませんが、これはとても大切なことです。たぶんわたしは、ワープロがなかったら翻訳の仕事なんかしてないし、こうして駄文を寄稿することもなかったんじゃないかと思います。頭の中ですでにできあがった文章を、すらすらと紙に書いていくなどという芸当は、わたしには絶対できません。キーボードで打った文字が画面に現われるのを見ながら、次に使う言葉を考え、あるいは遡って言葉を入れ替えながら文を作っていくからです。つまり、手と目を使いながらのこうした作業が、わたしにとっての「書く」という行為そのものなのです。

 だから、ワープロがこの世に存在しなかったら、たぶんわたしは翻訳をしていません。でも、今思うと、あの専用機は、本当にほかになにもできない機械でした。液晶の画面には、横書き四、五行しか表示できませんでしたし、原作の一章分が一つの文書におさまらないこともよくありました。プリンターが一体になっているのはいいのですが、一枚の感光紙にプリントアウトするのに、二分半くらいかかっていたように思います。十枚印刷すると二十五分ですね。画面には四、五行しか表示できないのですから、推敲するにはプリントアウトが必須です。それでも、原稿用紙に書くよりはずっと便利だと思っていました。

 

愛機マック登場

 その後、初心者でもすぐに使える操作感の良さから、マックのパソコンを購入し、今は四台目のマックが机の上に乗っています。この四台を乗り換えるあいだに、パソコンをどう使うか、少しずつ、わたしなりのやり方ができ上がっていきました。

 まず、原書はコピーしてパソコンの左側にある書見台に立てておきます。原書そのままだと、厚いものはきれいに開かないし、本そのものに書きこみするのは嫌いだからです。スキャナーで読みこむこともできるのでしょうが、読みとりミスの可能性や、書きこみや推敲時の確認作業のし易さ、画面の表示面積などを考えると、紙の上に英文があるのが一番です。

 原稿は、マック標準のアップルワークスのワープロ機能で書きます。こいつは機能は少ないですが、軽いのが取り柄。変換にもマック標準の「ことえり」を使っています。この変換ソフトは、お世辞にも優れているとは言えませんが、どうせ原文を見ながら、ああでもない、こうでもないと訳文を考えるわけですから、変換効率や速度が多少遅くてもロスにはなりませんし、逆に、変換しながら引っかかるくらいが、言葉を意図的に選んでいくにはちょうどいいように思います。

  原稿は、いつも縦書きで書きます。これはワープロからパソコンに変えた時からそうしています。翻訳している時と、本になった時の見た目が近い方がいいからです。かな漢字の混じり具合、数字表記や、句読点、括弧、「──」や「……」の使い方は、縦書きで確かめておかないと不安でしかたありません。さらに、段落の切り替えや、会話のリズムなども、やはり横書きと縦書きでは違うんじゃないでしょうか。(ですから、この原稿は横書きで書いています。)

 画面上には、訳文のウィンドウのほかに、辞書のウィンドウを常時ひらいておきます。今は、「リーダーズ+プラス」「英和活用大辞典」「ジーニアス」「American Heritage」「英辞郎」が入っています。紙の辞書では研究社の「大英和」と「Collins Cobuild」を左右にひらいています。今年買った四台目のマックは、二十インチワイドの画面なのですが、これが予想以上に便利でした。それまでは十四インチ画面だったので、目に負担をかけない文字の大きさで辞書ウィンドウも同時に表示しようと思うと、訳文のウィンドウを三分の二くらいしか表示できませんでした。それが今では、訳文のウィンドウを丸々表示し、なおかつ辞書も同時に見られます。机の上に原稿と辞書を広げた感覚、これぞまさしく「デスクトップ」ですね。やはり、この方が作業がはかどる気がします。

 パソコンでとくに便利だと思うのが、検索機能です。一台目のマックでは、まだ、ワープロの一文書あたりに書ける容量が少なく、一章ごとに別の文書にしていましたが、今ではそんな心配もなく、訳書一冊分の原稿を、一つの文書に収めることができます。すると、あれ、前に出てきた時、”frame”の訳語は「骨組」にしたっけ、「骨組み」にしたっけ、などという時も、一発で検索し、確かめてから表記を統一することができます。

 わたしの場合、児童文学、ヤングアダルト、一般向け、と、読者年齢が小学生から、中高生、大人、と作品によって異なり、その都度、漢字の割合を意図的に変えますから、表記統一はかなり厄介な作業になります。よく使う語については、かな漢字表を作りながら翻訳を進めますが、気になればテキスト全体を検索し、すぐに確認して、変更、統一ができるようになりました。

 

調べものの整理に

 訳文以外に作っている文書は、この「かな漢字表」と、わたしの場合、「メモ」と称するもの、そして「年表」です。

「メモ」には、章タイトル、引用文、固有名詞の表記法(人名、地名、その他)、英語以外の言語の発音と意味、そして疑問点を、それぞれの項目ごとに、原文に出てきた順にページ数とともにメモし、調べた結果や、それをどういう表記にしたかを書き加えていきます。

 調べものは、それ自体も大切ですが、調べたことをメモっておくのも大切です。最初の頃は、よし、今回はしっかり調べたし、編集さんや校正の方からなにを言われてもへっちゃらだ、と思っていても、調べたという事実だけは憶えているのですが、なぜそういう訳語や表記にしたのかを忘れていることがあり、困りました。本が世に出る前の、最初の読者である編集者や校正者の疑問にさっと答えられないと不安になり、そういう時は、結局もう一度調べ直したものです。

 そこで、「メモ」を作るのです。ただのワープロ文書ですが、紙に書くのとちがって、ワープロなら、いくらでもそれぞれの項目を足していけますし、インターネットや、やはりパソコンに入れている百科辞典からの引用も、そのままコピーして貼りつけることができます。編集者との打ち合わせには、プリントアウトしてもっていけば、その場で疑問に答えることができますし、原作者への質問メールは、メモの疑問点をもとに、箇条書きの質問状に書き換えられるので、とても便利です。ワープロ文書だと、コピーや加筆、編集や削除が自在ですから、こうした項目の整理にはうってつけなのです。

「年表」は、物語中の主なできごとを、時系列に並べ替え、整合性がとれているかチェックするものです。あまり必要のない作品もありますが、気をつけないと、曜日や日付が狂っていたり、年齢のつじつまが合わなくなっていたり、そういうことはよくあります。海外版元の編集者は、こういうチェックはあまり綿密にしないみたいですね。原作者に知らせると、もう原作が世に出て何年も経っているのに、「よく気づいたな。そんなことは今までだれも言ってくれなかった」なんて返事が返ってくることもありました。

 

データ検索から納品まで

 そしてもちろん、パソコンはインターネットの利用に最大の威力を発揮します。

 処理能力の進化とブロードバンドの普及により、インターネットの利用が飛躍的に速く、簡単になりました。最初の頃はダイアルアップだったので、表示に大変な時間がかかる上、一分いくらで課金され、それが気になって、グーグル検索の結果を二、三件当たっているうちに、もういいや、金がかかるし、とつい調べものをやめてしまうこともありました。今は違います。こんなに速くていいの? というくらいぱっと表示されますし、月額固定料金で繋ぎっぱなし、使い放題です。

 こうなると、インターネット全体が辞書です。単語の意味も、手もとの辞書でわからなければ、ネット上の辞書をあたり、それでもわからなければ、周辺の語句と合わせて検索をかけると、似たような状況で使われている文例が出てきて、意味やニュアンスの推測がつけられます。

 聖書やシェイクスピア、その他古典の引用などには絶大な威力を発揮。なんだか、このあたりは引用くさいな、と思えば、文章ごと入れて検索、あっという間に答えが出ます。また、日本と違って、欧米では古典のテキストがどんどんデータ化されているので大助かりです。

 十年ほど前、フローベールの引用としかわからない文に出くわした時、わたしはまだ、インターネットを使える環境を整えていませんでした。そこで、フローベールと言えば『ボヴァリー夫人』だろうと目星をつけ、上下巻合わせて五百ページ近い岩波文庫の『ボヴァリー夫人』を買ってきて、頭から読んだことがあります。お目当ての文が見つかったのは、下巻の五十ページを過ぎたあたりだったのですが、それでも見つかっただけましでした。別の作品という可能性だってあったのですから。

 そして訳文が仕上がれば、メールに添付して、シュッ、あっという間に納品完了です。さらにそのあとも、昔なら活字を拾わなければならなかったところを、そのテキストデータをもとに電子写植で印刷され、本になってしまいます。

 

 パソコンは本当に便利なツールだと思いますし、その基本機能は、翻訳者のためにあるんじゃないかと思うほどです。読者のみなさんも、こんな使い方が便利ですよ、というものがありましたら、ぜひ教えてください。

 あ、そうそう、肝心なことを書いてませんでした。

 一日の仕事が、いや、三カ月の苦労が水の泡……、なんてことのないように、みなさん、くれぐれもデータのこまめなバックアップだけはお忘れなく!! (M.H.)