翻訳者の部屋から

児童書・YA翻訳者、原田勝のブログ

うそみたいな偶然

 昨日、大学生のころの先生方のことを書いたら、もう一つ、とんでもない偶然の出来事を思いだしました。

犬の心臓 (KAWADEルネサンス)

犬の心臓 (KAWADEルネサンス)

 

  ブルガーコフの『犬の心臓』を翻訳された水野忠夫先生のことです。ああ、もちろん、ほかにも訳業はたくさんあるのですが、『犬の心臓』は印象に残っているタイトルなので……。

 水野先生には二度お目にかかっていて、その二度というのが、こんなことってあるのか、という二度なのです。

  一度目は、早稲田の文学部の入学式後のクラスでのこと。わたしの母校である東京外大は、当時「二期校」といって、受験日が遅く、3月に二次試験があり、合格発表が4月に入ってからという、今では考えられない日程でした。

 いい加減な受験生だったわたしが、どこにも受からないまま外大の受験を控えていたある日、いきなり早稲田の補欠合格通知が家に届きました。浪人を覚悟していたわたしは欣喜雀躍、外語は受けたのですが、集中力はとっくに切れていて、とても受かる気がしませんでした。

 そして4月初めの早稲田の入学式のあと、外国語選択によるクラス分けだったのか、文学部の中でもロシヤ語専攻の学生たちの担当が水野先生で、教室で懇親会のようなものを開いてくださったのです。フルーツケーキが配られたことだけは妙にはっきりと記憶に残っています。もう、すっかり早稲田に通うつもりだったわたしは、やさしそうな水野先生のご様子に、心強いかぎりでした。先生はわたしより生まれが20年早いのですが、ということはこの時まだ38歳、新進気鋭のロシヤ文学研究者でした。

 そして、なぜか、本当になぜか、なのですが、その早稲田の入学式の日が、東京外大の発表の日だったのです。インターネットなどない時代、早稲田から西ケ原の外大キャンパスに着いたのが夕方4時過ぎだったでしょうか、発表の掲示板の前には当然ですが、だれもいません。自分の番号を見つけた時はそれは嬉しかったのですが、なにか複雑な心境でした。だってすっかり早稲田へ行くつもりだったんですから。水野先生からフルーツケーキをもらったんですから……。

 あわてて学生課へ行くと、すでに時間外でカウンターのカーテンはしまっていました。ガラスをたたいて職員を呼び、手続き書類をもらったのを憶えています。授業料の安さが魅力だったことは否めません。

 

 それから4年後。ロシヤ語はおぼつかないまま、卒業資格だけはなんとかとったわたしは、早稲田通り沿いの居酒屋「養老の滝」でバイトをしていました。2月だったか、3月だったか、なんとその養老の滝の2階の座敷で、水野先生のゼミ生たちが卒業祝いの飲み会を開いていたのです。たぶん、その場にいた学生たちの中には、4年前に早稲田の教室で顔を合わせたメンバーもいたことでしょう。わたしは養老の滝の法被を着たまま、水野先生にかくかくしかじか、と説明し、ビールのお酌をさせてもらいました。先生はキツネにつままれたような顔をしていましたが、無理もありません。

 

 上に掲げた『犬の心臓』の書影は2012年に出たものですが、初版は1971年。水野先生が34歳の時の訳業ということになります。

 水野先生も、昨日お名前を挙げた、飯田先生、志水先生も、すでに鬼籍に入られています。わたしはすでに、自分が大学生だったころの先生方の年齢をとっくに過ぎてしまいました。そう思うと、もう少ししっかりしなければ、と思います。

(M.H.)